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アドルフ・ヴェルフリ観てきた

今,名古屋市美術館でやってる
「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」
に行ってきた~!!
http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2016/aw/


ゴッホ展と違って,会期は3月7日から4月16日までと,かなり短め。。。
これはかなり楽しみにしてた!!
いわゆるアウトサイダー・アートの展示なので…。

アウトサイダー・アートは,正規の美術教育を受けてないアートのこと。
元来,フランス語で,精神障碍者や,受刑者などのアートをさす「アール・ブリュット」って概念が先だったようだけど,
英語の訳されるうちに概念の範囲が広まったようだった。
ただ,日本で「アウトサイダー・アート」というと,
フランス語で言う「アール・ブリュット」のほうに近い認識のようだ。

(※以下,正規の美術教育を受けてないアート→「アウトサイダー・アート」,
精神障碍者・受刑者などのアート→「アール・ブリュット」って使い分けますのでよろしく。)

アドルフ・ヴェルフリ以外の有名な人だと,アメリカのヘンリー・ダーガー(「非現実の王国で」),
日本人では山下清がそれに該当するようです(^v^)
そういえばジミー大西もアウトサイダーかもしれない。今は絵描いてないっぽいけど。

アウトサイダー・アートは個人的にとても興味がある。
こうして生の絵を見られるっていうのはかなり貴重な機会でした。。。


絵は,まるでミニアチュールのようだった。
立体感や奥行きなんかはなくて,平坦なんだけど,
鉛筆で細かく描きこまれ,時に着色されていた。
一つの絵のサイズもかなり大きかったので,迫力もあって。

アール・ブリュットは,凄みが,ある。と思う。

その絵で,有名になろうとか,食べていこうとか,そういうものじゃなくて,
自己を表現するものとして,純粋に描かれるから,
生きていることがそのまま絵と重なる。
絵の背景には,経済活動や生活じゃなくて,描き手の血潮や鼓動などが,見えるようだった。
(ヴェルフリの場合は,晩年はその絵を売って少しばかりの
お金を儲けていたようだったが,病院の中での売買だったため,
それによって富を築くとか,そういう感じではなかったと思う。)

もちろん,普通の画家だって,生きることは描くことだ!って
描いている人もたくさんいるだろうし,一つ一つの作品に
魂がこもっていると思う。

けど,なんていうのかな…。理論をさしはさむ余地がない。
言葉を,思考を,超えているように感じる。
絵を見て,頭で考え,言葉で説明することの無力さを覚える。
そこに凄みがある。説明がつかない。


ヴェルフリは,とても不遇な幼少時代を過ごし,
いろいろな不幸や不運が重なるうちに,
問題や事件を起こすようになり,統合失調症と診断され,
精神病院の中で作品を描き続けた。

彼が初期につくりあげて自叙伝である,「ゆりかごから墓場まで」は
その辛い幼少期を書き換えるものになった。

・・・・(´・ω・`)

辛いことがいっぱいあった人生だったから,この作品が生まれた。
けれど,彼が温かい,豊かな家庭に生まれていれば
彼自身は精神を病むことはなく,絵は描かなかっただろうけど,
幸せに生きられたのかも・・・・・・。
(統合失調症は発症メカニズムは不明で,一部は遺伝,一部はストレスともいわれる)

なんて思ったりもしたけど
歴史に「たられば」は禁句だ。
たらればって言っていいのは東京の女性3人組だけだ。笑

いま,こうして,こういう時代だから作品を見られること,
作品を通してヴェルフリの人生を見られること,
それは彼が苦難の人生を歩んできたからこそのこと。
彼の苦難の人生には大きな意味があった,と思う。

けど,ひとつやっぱり気になるのは,
こういう時代だからアウトサイダー・アートが評価されるけれど
彼自身は精神を病んでいたとはいえ,性的暴行でつかまったりしてて,
そういう被害者がいるっていうのがね。。。

もう被害者は亡くなっていることと思うけど,被害者の子孫とかいるかもしれないし。
被害者の子孫は,こうして世界で評価されていることを
どうやって見ているんだろうなあ。と。なんだかちょっと複雑です。


展示は,土曜日だってのに人が少なく,笑
快適に見られた。

名古屋市美術館には,「ゴッホとゴーギャン展は愛知県美術館で開催中です」
っていう看板が立っていた。間違えてくる人が後をたたなかったのだろう。
間違えて来た人も,見ていけばいいのにな。って思った。

こういう展示,とても好きです。


アドルフ・ヴェルフリが終わったら,満州国の写真展をやるそうなので,
これも必見なり。

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